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南越後の観光ガイド

南越後の上越市は、高田市と直江津市が合併して生れた街です。
上杉謙信、親鸞上人ゆかりの地であり、徳川家ゆかりの高田城を中心とした城下町、日本のアンデルセン小川未明や郵便の父前島密、日本画家小林古径らを輩出した街でもあります。
また、豪雪地帯であることから「雁木づくり」などの独特の文化も生れました。
日本のスキー発祥の地もこの地です。
その歴史と文化を「上越の見どころ」として紹介します。


上越の観光サイトはこちら → 上越そぞろ歩き



歴史と文化の公園「高田公園」
〜日本三大夜桜、高田城跡、外堀一面の蓮〜



「高田公園」は、高田城跡に広がる公園です。
高田城は、徳川家康の六男松平忠輝(まつだいらただてる)によって築かれた近世の代表的な平城でした。
高田城は、慶長19年(1614年)に築城されました。
現在は、当時の城は現存しておりませんが、博物館にもなっている「高田城三重櫓」や現存するお堀が城下町であったことを感じさせる公園です。

高田公園は、「日本三大夜桜」としても有名です。公園内の桜の数は、なんと3,400本です。
有名な東京都上野公園の桜の数が1,100本と言われますから、その3倍という迫力です。
3月末から4月上旬にかけての見頃の季節は大変な賑わいを見せます。

高田公園の魅力は、桜の季節だけではありません。
外堀を埋め尽くす蓮は、美しさ、規模ともに東洋一の折り紙つきです。
8月を中心として夏が見頃です。

また、高田公園内には、「小林古径邸」や「上越市総合博物館」といった文化を感じさせる施設もありますので、併せてお楽しみください。

高田公園のサイトはこちら → 高田公園


高田城三重櫓

高田城のシンボル「三重櫓」は古文書、古地図、発掘調査による資料をもとに、平成5年に復元されました。
1、2階は展示室、3階は展望室になっています。
●入場料:一般200円  小中高生100円
●休館日:月曜日、休日の翌日、12/29〜1/3
●開館時間:9:00〜17:00
●пF025−526−5915


小林古径邸

近代日本画の巨匠小林古径の本邸は、建築家吉田五十八が設計し、棟梁岡村仁三が施行した木造二階建、数寄屋造りの住宅です。
昭和9年に建てられ、平成5年に解体されましたが、平成13年に復原されました。
アトリエも写真や図面に基づき復元されています。
この小林古径邸は、日本建築の技術の素晴らしさと芸術家がたたずんだ雰囲気が感じられる一見の価値ありの施設です。

●入場料:一般200円  小中高生100円
●休館日:月曜日、休日の翌日、12/29〜1/3
●開館時間:9:00〜17:00
●пF025−525−2429


上越市立総合博物館

上越地方の縄文時代からの考古資料や雪と生活に関する民族資料などを展示し、歴史と文化を観覧できるとともに、小林古径をはじめとした郷土作家や郷土にゆかりのある美術資料の収集・展示を行っています。
●入場料:一般300円  小中高生150円
●休館日:月曜日、休日の翌日、12/29〜1/3
●開館時間:9:00〜17:00
●пF025−524−3120







雁木通りと十返舎一九



上越市高田の街には、雪よけのための工夫として作られた「雁木(かんぎ)づくり」という構造が残っています。
そして、雁木づくりの残る通りは、城下町、北国街道の街としての歴史が感じられ、「雁木通り」として親しまれています。

南本町の雁木通りには、「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の作者として有名な「十返舎一九(じっぺんしゃいっく)」が、道中記「金の草鞋(かねのわらじ)」で紹介した「高橋飴店」があります。
初代高橋六左衛門が粟を原料に「粟飴」を製造しました。
その後、四代目孫左衛門は、寛永二年にモチ米を原料とした淡黄色透明な水飴を製造することに成功し、その名を全国にとどろかせ、同じ「粟飴」の名で販売し、現在にいたっています。


看板には、「粟飴翁飴本舗」と掲げられています。






寺町と親鸞上人ゆかりの浄興寺


上越市(高田)の寺町には、たくさんの寺が集まっています。
まさに寺めぐりの町と言ってもよいでしょう。

その中でも、親鸞上人ゆかりの寺「浄興寺」が有名です。
山門をくぐると、広い境内の正面に国指定文化財の本堂があります。親鸞上人の頂骨を納めた「親鸞廟」、親鸞直筆の六字名号、上杉謙信が寄進したと伝えられる梵鐘などたくさんの文化財が所蔵されています。

この寺の名は、「歓喜踊躍(かんきゆうやく)山浄土真宗興行寺」といい、略して「浄興寺」といいます。

浄興寺のサイトはこちら → 浄興寺



春日山城跡と林泉寺



かの上杉謙信が居城としたのが、「春日山城」です。
典型的な山城で、標高180mの自然の要塞は、まさに名城です。

本丸等は残っていませんが、頂上の春日山城跡からは、妙高山、火打山といった百名山の雄姿から、上越市街、直江津港、日本海、米山など贅沢なまでの景色が見渡せます。
上杉謙信が天下取りを目指してこのような景色を眺めたことを想像してみてください。
目に映る景色が更に美しく輝くことでしょう。

さて、春日山城跡からわずかな距離のところに「林泉寺(りんせんじ)」があります。
この林泉寺は、上杉謙信が7歳から14歳まで7年間学んだ寺です。
上杉謙信の名将たる由縁はここにあると思うと、各種文化財を眺めるにあたり、感慨深いものを感じます。


林泉寺のサイトはこちら → 春日山林泉寺 上杉謙信公と春日山城史巡り




越後国分寺(五智国分寺)


聖武天皇勅願の寺が「越後国分寺」です。
正式には「安国山華蔵院(けぞういん)国分寺」といい、今日、天台宗です。天平13年(741年)に創建されました。
現在は、「五智国分寺」として親しまれております。

朱塗りの山門「仁王門」をくぐると境内が広がり「三重塔」などが目に入ります。
親鸞上人が越後国府に流罪になり、建保2年(1214年)、赦免となって常陸(茨城県)に旅立つまでの7年間を国分寺やその付近で過ごしました。
永禄5年(1562年)、上杉謙信は国分寺の荒廃を見るにしのんで、現在の地に再建されたと言われています。

俳人松尾芭蕉は、元禄2年(1689年)7月11日、「奥の細道」の旅の帰りに、国分寺、居多(たこ)神社に参拝した。
境内にある「薬欄(やくらん)にいずれの花を草枕」の芭蕉句碑は、その時の句です。

仁王門は天保12年(1841年)に、三重塔は明治になって建立されたものです。
本堂は、昭和63年1月16日の火災で本尊などとともに消失し、再建されたものです。


五智国分寺のサイトはこちら → 越後五智国分寺






その他の見どころリンク集



岩の原葡萄園

米と酒の謎蔵

日本海鮮魚センター

上越水族館

柏崎トルコ文化村

リージョンプラザ上越

上越科学館

前島密記念館

日本スキー発祥記念館








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